忙しさに追われる現代人 『モモ』を読んでお金と時間を考える

先日、ミヒャエル・エンデの『モモ』という小説を読んだ。今から50年ほど前にドイツ児童文学賞を受賞した作品だ。時間・お金とはと何かといったことを考えるのに、良い本だと感じたので少し共有したい。

そもそもなぜ読んだのか

幼いときから母親のずっと机に置いてあって、有名な本だということはなんとなく知っていた。会社員として働き始めてからお金と時間について考えることが増えたので手に取ってみた。

ざっとあらすじ

モモと街の人々は仲良くのんびりと暮らしていた。そこに突如、全身灰色ずくめの時間貯蓄銀行の社員たちが現れる。 将来、利子で膨らんで返ってくる時間を条件に、人々に無駄な時間を節約するようにそそのかす。徐々に、大切な人と過ごす時間、のんびりとする時間がなくなり、街の人々の生活にどんどん余裕がなくなっていく。最後に、奪われたみんなの時間をモモが取り戻す。

印象に残ったパート

本書の中で印象に残った描写を以下にまとめた。

 "時間の節約を始める人が増えるにつれ、ほんとうはやりたくないが、そうするよりしかたないという人が増えていった。ラジオやテレビや新聞も新しい文明の利器で時間を節約する大切さを語り、それによって真の幸福や生活の豊かさが達成されると人々は信じるようになった。
 時間貯蓄家たちは、良い服装をして、お金を余計に稼いで余計に使う日々を送っている。その一方で、彼らは妙に不機嫌で怒りっぽく、疲れているのだ。余暇の時間でさえ、有意義に使おうと娯楽をせわしなく詰め込むのである。
 そんな自分たちの状況を省みる静けさを人々は嫌うようになり、生活には騒音が溢れるようになる。仕事に求めるものはいかに短い時間で多くの仕事ができたかという事実であり、仕事に対する楽しさ・愛情は二の次になってしまった。
 「時間を大切にせよ」という標語が街の至る所に、張り巡らされる。ついには、古くて味のあった街並みまでも変わっていってしまう。時間を節約するために、同じ形の高層住宅が立ち並び、人々の暮らしやすさといったことは無視されるようになった。一秒の無駄も、一センチの無駄もないのである。街の人々は、自分たちの暮らしが日ごとに画一的になり、さらには冷たくなっていることに目を向けようとしなくなっていった。

そして、時間について、筆者の言葉でこのパートは締めくくられる。

時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人の命は心を住みかとしているのです。人間が時間を節約すればするほど、生活はやせ細っていくのです。

感じたこと

現代社会が完全に本書に書かれている世界になっているとはまだ思わないが、かなり近いものにはなっているのではないかと思う。常にタイパを意識して、お金を必要以上に稼いで必要以上に使っている。

・私自身も会社員生活を送るようになって、仕事の忙しさに忙殺されて不機嫌になっている自分にふと気づくことがある。学生時代は穏やかな性格だったのに。ふとしたときに立ち止まって考えるクセをつけないと、簡単に慌ただしい日常に飲み込まれてしまう。
 
・余暇についても、Netflixの動画を2倍速を詰め込む私たちはまさにこの状態ではないか。余裕や空白の時間が、幸せを感じる上では大切だと思う。

・時間貯蓄銀行のように、今を犠牲にして未来の時間を増やすことについて、結局は現在と未来に得るメリットのバランスの問題ではあるが、世間一般的に未来のために今を犠牲にするケースが多いように感じる。明日死ぬかもわからないし、今を自分らしく生きる人が増えるともっと多くの人が生きやすい社会になるのではないだろうか。